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今日も他人事

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主要武将 経歴

<武将達の経歴>

※魔王の血族

■董卓



191年、中原で諸侯の争いが激化したのを尻目に、再編した軍勢を率いて西涼を制圧。
その後、激戦を経て荊州、益州を制圧し、203年には公に昇るがその直後に急逝した。
自らの死期を悟り、晩年は孫娘の董白を後継とすべく、密かに様々な手を打っていた。

■董白



董卓の近衛騎馬隊に従軍していたが、後に軍事的才能を開花させ、一軍を任せられるようになる。
激戦地であった上庸と宛の太守を兼任し、祖父の宿敵であった孫家を根絶やしに追い込んだ。
202年、董卓の命により半ば強引に馬超と縁組させられ、翌年には祖父の後継として董卓軍を掌握。
禅譲を受けて皇帝と成り、涼を建国して天下統一を果たした。
その後、外征に繰り出すも異民族の大反抗により、逆に窮地に追い込まれてしまう。
多くの将兵と物資を失い、一度は失意の淵に立たされながらも、自らの誇りを胸に再起を決意。
河北を防衛線として捨て去ることを決意し、まだ戦火の広がっていなかった江南へと遷都した。
以後は、涼の再建(南涼)と馬超との間に儲けた子の養育に全力を注ぎ、病を発して死んだ。

※軍師

■李儒



董卓の腹心として様々な献策を行い、その覇道を手助けした。
董卓からは絶大な信頼を寄せられており、晩年に唯一、遺言を託されていた。
董卓の死後、董白に今後の戦略について伝授した後、軍師を引退し、203年にひっそりと病没した。

■王異



戦後は董白の外征に反発し、真っ向から諌めたために逆鱗に触れて一時は投獄されてしまう。
一時は処断も危ぶまれたが、かつて命を助けられたカクの嘆願により無事に解放される。
以後は庶民となり、故郷の西涼で私塾を開きながら生計を立てていた。
異民族の北方での軍事行動が活発化し始めると、山中に逃れて隠匿生活を送るようになった。
以後、国政に携わることはなかったが、彼女の教えを受けた人物の中に、後に軍閥の長となった姜維がいる。

■カク



その冷静な判断力を買われて、長安の防衛および朝廷の監視を命じられる。
皇甫嵩、董ビンの副官、洛陽攻略の指揮官を歴任し、李儒の引退後には董白の軍師に就任。
戦後は外征計画の立案にも加わっていたが、流行病に掛かって命を落としてしまう。
自らの保身の為に反対意見は述べなかったが、投獄された王異を擁護し董白に助命を嘆願した。
カクが生きて計画を完成させていれば、外征が失敗することもなかった、と後に評される。

※武将

■呂布



「黒曜騎」と呼ばれる黒備えの精強な騎馬隊を率いて各地で猛威を振るい、五虎将軍の筆頭に数えられる。
また、王允の命で妻となった貂蝉を玉のように大事に扱うなど家族思いな一面を見せる。
孫策、夏候惇、趙雲といった名だたる武将を打ち倒しその武勇を轟かせるが、貂蝉が病死してからは衰えを見せ始める。
劉備軍との戦いの中で死に向かっていくがその強さ故に死ぬこともなく、劉璋誅殺の為に南蛮へ向かう最中、病に掛かって息を引き取った。

■張遼



常に激戦地に派遣され、その軍功で五虎将軍に数えられた。
外征にも参加し、ホウ徳と並んで先鋒を務めた。
一時は生死不明となるが、後に生還し、不死身の張遼と評される。
涼軍の頂点に立ち、病を発して息を引き取るまで、前線に身を置き続けた。

■高順



当初は騎馬隊の指揮も担当していたが、朱シュン没後、攻城部隊の指揮官を任せられる。
呂布の騎馬隊と連携して各地の城を突破して勇名を轟かせ、五虎将軍に数えられる。
私心なく、実直な軍人であったが、騎馬隊を率いて駆け回っている呂布や張遼を羨むこともあった。
外征にも参加し、張コウ、呂蒙らとともに攻城部隊の指揮を務めていた。
異民族の猛反抗に晒された際、足の遅い重装備であることが災いし、包囲されて命を落とした。

■馬超



馬騰死後、その軍勢を引き継いで董卓軍と戦うが、力及ばず捕えられる。
いずれ董卓を討つつもりで董卓軍に加わり、涼州兵だけで構成された騎馬隊三千騎を率いて各地を転戦。
死に兵に近い扱われ方を受けながらも耐え忍び、董卓に近づく機会を狙っていた。
202年、董白と半ば強制的に縁組させられ、形式上は夫婦となる。
初め、その関係は冷え切っていたが董卓の死を契機に氷解していった。
董白が王となってからは、遊撃騎馬隊「虎豹騎」の指揮を務める。
外征では異民族の反撃にいち早く気づき、妻である董白を窮地から救った。
その後、本陣に突っ込んでくる敵軍を押し留める為に盾となって戦死した。

■ホウ徳



馬超が董卓軍に加わった事を知り、亡き馬騰への忠義を貫く為に自らも軍門に降る。
果敢な騎馬突撃により、多くの武将を討ち取り、五虎将軍の一人に数えられた。
外征では張遼と並んで先鋒を務め、異民族の反撃でかなりの手勢を失いながらも馬超と合流。
乱戦の中で命を落とすも董白達が無事に撤退するまでの時間を稼いだ。

■黄忠



董卓軍では江陵防衛を担当し、劉璋、劉表、袁術の猛攻に晒されながらも、江陵を守り抜いた。
その手腕を買われて、五虎将軍に数えられ、虎牢関など要所の守備を任せられる。
外征には赴かず、留守役として国境の守備を任せられていた。
後の河北防衛戦では防御の要として活躍し、ギョウ陥落時、張遼に後を託して戦死した。

■呂姫



董卓の死後、近衛騎馬隊長に就任し、董白の警護を務めるようになる。
病死した呂布の方天画戟と赤兎馬の子を譲り受け、「黒曜騎」の指揮官を務めた。
外征では董白を守るために片腕を失うが、生還を果たすことに成功。
董白の死を看取り、その子を守り育てることを誓った。

■周瑜



再建した洛陽で建設された董卓軍の水軍を統括。
黄河での後方撹乱により公孫サン軍や袁紹軍を苦しめた他、江東平定の作戦立案にも加わり活躍した。
劉備軍の大船団を撃退し、その勇名を轟かすも病に倒れ、水軍を甘寧に託して息を引き取った。


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